人生には必ず終わりが訪れます。
そのとき、あなたはどのような最期を迎えたいでしょうか?
現代は医療の発達により延命治療も選択できますが、一方で「できるだけ自然に、苦しまずに最期を迎えたい」と願う人も少なくありません。
これがいわゆる「平穏死」です。
私はこれまで二人の叔母の平穏死を見届けました。
その経験を通して感じたこと、そして家族が知っておくべき自然な最期の流れについてお伝えします。
平穏死とは?
平穏死とは、医療的な延命措置を行わず、苦痛を最小限に抑えながら自然な流れに身を任せて亡くなることを指します。
「食べなくなるから死ぬのではなく、死が近づくから食べなくなる」──この考え方が平穏死の本質です。
多くの人は「食べられない=弱っている=何とかしないと」と考えますが、終末期における食欲低下は自然な現象です。
身体は少しずつ余分なものを受け付けなくなり、軽くなっていく過程を経て、静かにその時を迎えます。
二人の叔母が迎えた平穏死の記録

私が経験した二人の叔母の最期は、とても対照的でありながら共通点もありました。
87歳で亡くなった認知症の叔母
介護施設に入所中、認知症が進行し、やがて食事が摂れなくなりました。
高カロリーゼリーで栄養を補っていたものの、それすら受け付けられなくなり、最期の一週間ほどは唇を湿らす程度に。
苦しむ様子もなく、静かに眠るように旅立ちました。
96歳で亡くなったしっかり者の叔母
介護施設に入所中、認知症はなく会話もできていた叔母も、やがて食事の量が減少。
亡くなる一週間ほど前からは、食べ物や水分を一切口にしませんでした。
それでも亡くなる前日まで、目を閉じていても問いかけにうなずいたり、首を振ったりしてました。
家族との心の交流が続いたまま、自然に最期を迎えました。
「食べないこと=死のサイン」ではない
家族としては「食べないから弱っていくのでは?」と不安になります。
しかし平穏死の過程では、食べないことが原因ではなく、身体の自然な働きとして受け付けなくなるのです。
無理に食べさせようとすると、かえって苦痛や誤嚥のリスクを高める場合もあります。
「食べられないことも自然な現象」と理解することが、家族にとっても本人にとっても穏やかな時間を過ごす第一歩です。
平穏死のサインとは?
自然な最期が近づくと、次のようなサインが現れることが多いです。
- 食欲の低下、食事の拒否
- 水分摂取も少なくなる
- 眠っている時間が増える
- 手足が冷たくなる
- 家族の問いかけに反応が薄くなる
これらは身体がゆっくりと終末期へ向かっているサイン。
家族としては「なにかしてあげたい」と思うものですが、静かに寄り添うことが最大のケアとなります。
家族ができること

平穏死の過程で家族ができるのは、苦痛を取り除き、安心感を与えることです。
- 無理に食べさせない
- 本人が望むなら口を湿らせる程度でよい
- 好きな音楽や匂いなどでリラックスできる環境をつくる
- 体をさすったり、手を握ったりして安心感を与える
特に「話しかける」「手を握る」などのスキンシップは、意識が薄くなっても本人に伝わります。
延命治療との向き合い方
平穏死を考える上で避けられないのが「延命治療をするかどうか」という判断です。
胃ろうや点滴、人工呼吸器などで生命をつなぐ方法もありますが、本人の苦痛が増えるケースもあります。
事前に本人の意思を確認しておくこと、家族で話し合っておくことがとても大切です。

平穏死は「穏やかな終わり方」
平穏死は、決して特別なものではありません。
生まれたものがいつか命を終えるという自然の摂理に沿った最期です。
苦しみがなく、燃え尽きた炎が静かに消えるようなその過程は、本人にとっても家族にとっても安らぎのある時間になります。

まとめ
- 平穏死とは、延命治療を行わず自然な流れで最期を迎えること
- 食べないことは死期が近いサインであり、無理に食べさせる必要はない
- 家族は静かに寄り添い、安心感を与えることが大切
- 延命治療や本人の希望について、早めに話し合っておくことが重要
「どう生きるか」と同じように「どう最期を迎えるか」も私たちの人生の一部です。
平穏死という選択肢を知ることで、家族も本人もより穏やかにその時を迎える準備ができます。